毎年3月がくると嫌でもあの「地下鉄サリン事件」が思い出されます。
あの日、1995年3月20日、ボクはいつものように早朝に東金の自宅を出て、東京・築地にある十條キンバリーの本社に通勤の途中でした。
蘇我駅で京葉線快速に乗り換え、八丁堀で降りて、地下鉄日比谷線に乗り換えるために改札口に行くと、電車はすでに不通に。あの忌まわしい「地下鉄サリン事件」の発生直後でした。
歩いて本社がある築地1丁目のコンワビルに到着、すでに築地駅方向から救急車やパトカーのサイレンの音が鳴り響いていました。仕事は手につかず、社内のテレビに釘付けだったのを覚えています。
事件の詳細が判るにつれ、車内や築地駅、八丁堀駅、小伝馬町駅などで、死傷者がおびただしい数にのぼる事も知りました。とてつもない大事件が身近に起きて動揺しました。
日比谷線の乗客や駅員だけでも、合わせて8人が死亡し2475人が重症。都内の地下鉄全体では、乗客や駅員ら13人が死亡、負傷者数は約6,300人になったそうで、いまだに後遺症に苦しんでいる人たちが大勢いると聞きます。
ボクはあの日、5分か10分早く八丁堀に着いて、いつものように日比谷線の前の車両に乗っていたら、確実に死ぬか、負傷していたと思うと今でもぞっとします。